免疫力のあるキリストの体とは(3)

2. 病原菌(ウイルス)を体内で撃退する方法

私たちはコロナウイルスという目に見えない敵との戦いに悪戦苦闘してきました。コロナウイルスのように目に見えない敵は感染経路を探りながら感染を未然に防ぐという方法は効果的ではありません。ウイルスは目に見えないため、犯人を特定するのが難しいため、感染を完全に防ぐというのができないからです。そのため、ワクチンによって体内にウイルスへの抵抗力を作ることで、例え、ウイルスが侵入してきたとしても免疫を利用してウイルスを撃退するという方法が取られる訳です。このワクチン接種は事前にウイルスに対して十分な備えを体内で行い、万一、ウイルスが体内に現れた時でも、抗体というすでに得られた免疫の力によってウイルスを撃退するというものです。いわば、敵との予行演習をしているため、敵の攻撃に際して、撃退する力をすでに身に着けているというものなのです。

キリストの体である教会も、ウイルスのような目に見えない外敵と戦う必要があったりします。このキリストの体である教会を感染から守る方法としては、以前に記した1. 病原菌(ウイルスなど)に接触しない方法と、2. 事前にウイルスや病原菌などに対して戦う予行演習をして、本番に備えるというワクチン接種の方法とがあります。

このワクチン接種とはウイルスという目に見えない敵が攻撃してくるという前提で体内において備えをするものです。キリストの体である教会にあてはめると、誤った教えや秩序を乱す人物、ゴシップ、カルトなどが入ってくる可能性を踏まえて、それらのことが

原因でダメージを受けたり、分裂が起こったり、問題が生じる事となった教会の事例や罪による温床の被害者たちを受け入れて、その人たちからの生の声を聞くことで、キリストの体全体として痛みを共有したり、被害者の心理的安全性が担保される中で、傷ついた心を分かち合うというプロセスの中で、そのつらい経験というものが教会の体内において免疫となり、今後同じような攻撃に対して、戦う免疫を身に着けていくというものであります。いわば、ワクチンのように事前にキリストの体である教会内に感染しない程度の病原菌を入れることで、今後の大きな攻撃に対処する力を身に付けていこうとするものです。

病原菌(ウイルスなど)に接触しないようにするという問題回避の方法はもはや、感染経路を特定することが難しいばかりか、目に見えないウイルスに対して撃退する力が身に着きません。そのため、いったん問題が侵入し、問題に気づいた時にはキリストの体が大打撃に陥っているということにもなりかねないのです。また、コロナのようにいざ感染が進み出すと、外部の専門家でも、もはや食い止めることができなくなってしまい、もはやお手上げ状態となることもあるのです。

そのようなことから、外から内から何が入って来ても十分に対処できる免疫機構が備わった、打たれ強い教会、キリスト者の集まりが重要になってくるのです。

それでは、免疫力のある教会となるには、何が重要なのでしょうか?まずは、問題に対して、教会内に透明性があり、隠蔽体質が無いことが重要になります。その次に、各人の心理的安全性が担保されていて、問題を分かち合うことができるグループ、聖書の真理を相互に適応できるように励まし合い、戒め合い、フィードバックを行ない、霊的識別力が身に着けて行けるように、互いにコミュニケーションができる関係が重要となります。最後に、人生のゴールとして、キリストの似姿にお互い成長できるように率直に自己変革できる共同体であることがキーだと思うのです。

実際、打たれ強い、免疫力の備えた教会とは、アレルギー体質で、疑わしいものを排除しようと、ルール作りに勤しみ、問題を入れないようにがんじがらめにする必要はなく、またそれとは反対に、世のもの何でもOKスタイルで、フィルターの無い識別ができない組織のことでもないのです。事前に問題の侵入を覚悟して、問題に真正面から取り組む姿勢を備えた教会、リスク覚悟で、敵の攻撃にしっかりと対処する力のある教会のことではないかと思うのです。

「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。」(エペソ6:13~17)

何よりも免疫力を身に着けるには、各人が聖霊により頼み、聖書から真理を学び続けるという姿勢が要求されるのだと思います。