
先日、経済学者の入山章栄氏の組織論についての動画を視聴した。その中で、カリスマリーダーの日本電産の永守社長の後継者問題の話題がなされていた。永守氏は企業をゼロからスタートさせて、一代でグローバル企業に成長させたカリスマ創業者である。彼のハードワーキングとマイクロマネージメントは超越したものであるが、今の日本電産がその恩恵を受けているのは紛れもなく永守氏の理念によるものだと信じられている。しかし、問題は現在78歳の高齢のリーダーを不滅のスーパーマンとして活躍させ続けることができるのかというものである。いずれは、体力も知力も衰え世代交代を余儀なくされるのである。永守氏の後継として、外部から社外取締役社長として招聘したことがあるが、ことごとくうまく行かずに退任となったのである。その理由として、会社をゼロから作り上げた創業者として、永守氏には、もはや会社という組織は自分のアイデンティとなり、身体の一部となっているため、自ら一線を退き、大事な会社を人に委ねたり、離れることなどできないまでに固執するようになっているという事と、もう一点は、カリスマリーダーの周りにはイエスマンで囲まれており、具申するような人物が見られないため、自分の周りの人間がリーダーにはバカに見えるとのこと。そのため、社内よりも社外から実力ある役員を招聘するのであるが、反論をされたり、今までの企業風土を一変させるような意見には、自分の立場を脅かす存在として映り、排除しようとするのである。そのため、日本電産は過去に、何人かの社外取締役を退任させたのである。次に、創業者がカリスマリーダーであっても、上手くいった事例もある。ジャパネットたかたの高田明氏は小さなカメラ店からTVショッピングで有名な通信販売会社に大きく成長させた人物であるが、息子の旭人氏に社長の座を委ね、後継者問題が浮上することなく、今日まで、上手く機能している企業である。実は、高田明氏は後身の旭人氏に委ねた後、一切、会社のことに口を挟むことが無かったのである。高田明氏は非常に潔い性格の持ち主であり、いわゆる、人間ができた人であったことが、後継者へのバトンタッチがスムーズに行った所以である。また、地元長崎への地域振興としてJリーグの運営会社の社長を努めて、地域貢献という異なる世界に身を投じたのも良かった。この事から後継者へのバトンリレーが上手く行く事例として、カリスマリーダーの人格が優れており、後任のリーダーと組織に対して口を挟まないこと、干渉しないこと。完全に任せる事。次に、尽力する新たな世界(組織)に目を向けられるということである。 後は、残念な話になるが、カリスマリーダーが死ぬことで、否応なく後任にバトンが引き継がれる場合である。組織についてはキリストの体である教会にも同様のことが言えるのではないだろうか? 無事に後継者にタスキリレーがなされるためには、リーダーの人格が優れた人物で、教会を私物化しない潔い人物で、引退後は他の世界に目を向けることのできる人物である。もしくは、リーダーが地上での務めを終え、神様の御許に行くかのどちらかである。時に、丹精を込めて育て上げた組織は自分の体の一部分となりうる。それを断捨離できるかが事業承継のカギとなるのではないだろうか?D