あるクリスチャン男性の話

今回はあるクリスチャンの男性についての話を記します。

彼は熱心に教会に集っていました。キリストとの関係も非常に親密でキリストのためなら命も惜しまないと思っていましたし、それは口だけではありませんでした。本人もその事では自信を持っていました。ある時ノンクリスチャンの集まりに参加したときの事、キリストご自身の事が話題になり、そこに参加している人々が皆でキリストを馬鹿にしたり、あざ笑ったりし出しました。その状況の中で、彼はある女性から、そういえばあなたもクリスチャンでしたね。と声をかけられました。彼は思わず、違いますよと言ってしまいました。するとその女性は回りの人々にこの人クリスチャンなんですってと大声で言いました。焦った彼は誓ってもそんなことはない。と言ってしまいました。すると回りのみんなも面白がって、そうだよアナタ、クリスチャンだって言ってたじゃないかと言い始めました。彼は益々苦しくなって、あんなイエスなんて信じる訳ないじゃないかとキリストを馬鹿にしながら叫んでしまいました。ふとその時、彼はキリストご自身の事を思い出したのです。彼はいても立ってもいられず、涙ながらにその場から去って行きました。その後、彼は鬱状態になってしまいました。さて、この人物の名前は誰でしょう?彼の名は巌さんと言います。そうです。使徒ぺテロのことです。この話は、ぺテロが3度キリストを否むシーンです。さて、キリストを裏切ってしまったぺテロはどのように信仰が回復して行ったのでしょうか。彼は山にこもって独りで祈っていたのでしょうか?そうかもしれませんが、聖書を見る限りぺテロは信仰の仲間と一緒に居たようです。キリストの体である教会の群れの中に彼は留まっていたのです。キリストが十字架にかけられた後、ぺテロも含めて焦燥しきった弟子たちは共に集まっていたのです。初代教会のメンズサポートグループの姿がそこにあったのです。同じ時期にキリストを裏切ったイスカリオテのユダは自ら命を絶つまでずっと独りぼっちでした。聖霊がいないために、永遠の孤独です。では、ぺテロも含め、落ち込んだ弟子たちのその後はどうだったのでしょうか。彼らはお互い慰め合うのためのメンズサポートグループを一生やっていたわけではなかったようです。実際、回復した彼らは徐々に隣人を助ける側、福音を伝える側に回って行きました。クリスチャンの小グループ(サポートグループ)とは、ある意味でこうした性格のものかもしれません。最後にこのぺテロの事件が起こる前にキリストがぺテロにおっしゃった言葉を引用したいと思います、「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

キリストはすべてをご存じです。そして、先行する恵みを持って、いつでも、私たちを励まし、父なる神の右の座において、私たちのためにとりなしの祈りをしていて下さるお方です。私たちが、失敗や挫折することも、挫折の後に、回復することも、挫折の経験が、人に励ましを与える存在へと誘うことになるまで、主はすべてをご存じであられるのです。計り知れぬ恵みが私たちの遥か先に先行するのです。ですから、その恵みにより頼んで信仰の旅路を歩んで行きたいものです。D